2015年10月21日

これから書きたいもの

先日の「今までに書いたもの」に続くものとして、今度は「これから書きたいもの」を。

「書きたい」だけならいろいろあるのですが、さっぱりまとまっていないものばかりだったりします。


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posted by 霧原真 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

今までに書いたもの

久々にオリジナルの小説を書いてみて感じたことや、これから書いてみたいものなどについて書こうと思ったのですが、その前段階として、一度、『自分が今までどんなものを書いてきたか』ということを振り返ってみたくなりました。
回想というか、自作語りなので、興味のない方はスルーしてくださいませ。

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2015年05月08日

水面に拡がる波紋のように

今回の文章を書くべきかどうか、実は長い間迷っていました。
このブログを始めて以来、いつかは書いておきたいと思っていたのですが、なかなかふんぎりがつかずにいました。

私は自分の好きな本の感想を述べ、紹介したいと思っています。
常にきちんと達成できているとは言いがたいですが、心にとまるものがあったときには、なるべくその作品の感想を形にして残そうと思っています。

自分が人に何かを薦めたことによって、何か成し得たかなどは、たいていの場合、目に見える形では現れてこないものだと心得ています。
ですが、ひとつだけ、その成果らしきものが世の中に残る形になっているのではないかと思えることがあります。

もう十年以上前のことになるでしょうか。とある方に、サトクリフの作品をお薦めしたことがありました。
その方は自作の小説を長く書き続け、ご自分のサイトに載せていらっしゃる方でした。
好きな作品の傾向に自分と近いものがあるように感じたこともあり、お書きになった作品を読んだり、メッセージを送ったりするようになりました。
そんな中で、私がサトクリフの本をお貸しし、先方からはバーナード・コーンウェルの「小説アーサー王物語」を貸していただく、という話の運びになりました。
その方とは実際にお会いしたことはありません。すべてメールと郵便を通じてのやりとりでした。
そのような交流がしばらくあったのですが、私のほうでうっかり連絡を途絶えさせてしまい、それ以上のことは特にないまま、時間が流れていきました。

最近になって、その方の書かれた作品が書籍化され、一般の書店に並んでいることに気づきました。
ライトノベルと硬派なファンタジーをつなぐような、素晴らしい作品です。
その作品の中には、サトクリフの影響を感じさせるものが確かに存在していたのです。

その方が作品を書ききったのは、あくまでご自身の力です。
私が紹介せずとも、いつかは他の形でサトクリフにたどり着いておられたかもしれません。
また、その作品が書かれる過程において実際に支えてきたのは、リアルタイムで作品を読み、励ましてきた方々です。

でも、それでも。
もしかしたら、最初の小さな波紋を掻き立てたのは私であったのかもしれない。
そんな思いが、確かに私の中にあります。

私自身が何かをやりとげたというようなことでは決してありません。
成そうと思って為したことではないのです。
でも、自分の行動が素晴らしい作品を生むきっかけのひとつとなり、その作品が世に出ることによって幸せな読書経験を持つ人が増えていくのだとしたら、それはとても嬉しいことではないかと思うのです。

自分自身の売名行為と受け取られるのは本意ではないので、作品名および作家さんのお名前にはあえて触れておりません。
ですが、素敵な作品を書かれる方なので、今回の文章とは違う形で、どこかで紹介できたらと思っています。
posted by 霧原真 at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

他者との距離

他者との距離の取り方って難しい、と、思うことがよくあります。
特に、インターネット上での他者との距離は、どうにも量りがたいと感じています。

もともと私はさほど人付き合いが得意なわけではなく、どちらかといえばぼっち体質な人間だったりするので、他者との距離の取り方が難しいというのは、別にネットに限った話でもないのですが。

ただ、ネットを介しての関係となると、やはり勝手が違うものです。
日頃、生身の(あるいは電話での)お付き合いでは、相手のしぐさや声から、かなり情報を受け取っているのだと、改めて気づかされます。
生身の人間と触れ合わないという点では手紙でも同じではないかと思われるかもしれませんが、ネットだと即時性が高いだけに、不用意な言葉を無用心に発していそうで怖いのです。
ブログやSNSなどでのオープンな発言だと、まったく無関係な方が目にする可能性もあるので、さらにおそろしいです。
ちょっとオーバーに考えすぎなのかもしれませんが、『見えない』・『量れない』というのはどうにも不安になります。

お書きになった文章を日頃から見ていると、なんとなくその書き手の方が、とても近いところにいるような気がしてしまいます。
ですが、実際には、顔を合わせたこともなければ、声を聞いたこともない相手であるわけです。先方にとってはこちらはあくまで見知らぬ他人です。
なのに、勝手に親しいような錯覚に陥り、踏み込みすぎたメッセージを送ってしまいやしないか。
ためらい、迷った挙句、結局何もメッセージを送らずじまいになったり、考えすぎてやたらと硬い文面になってしまったりと、どうもうまくコミュニケーションが取れている気がしないときがあります。

たぶん、相手はそこまで気にしていないだろうし、よっぽど変なことをしない限り、さほど迷惑ではないだろうとは思う(思いたい)のですが、どうもごちゃごちゃ考えすぎて、及び腰になってしまうことが多いように思います。

ちなみに、私自身はメッセージをいただけるのはとてもありがたいと思っています。
自分からは送るのが苦手なだけに、感想などを下さる方には、大変感謝しています。

なので、私のほうからも、読んで感じることがあった時には、先方にメッセージを送りたいと思うのですが、なかなかいい言葉が見つからなくて、ぐるぐると考え込んでしまいがちです。

どうせならば、温かく、心励まされるような関わりを持ちたいものです。
邪魔にならないよう、重くなりすぎないよう、でも言葉足らずにはならずに伝えられたらいいのにと、思わずにはいられません。

posted by 霧原真 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

本を紹介するということ

サイト「柊館」では、自分の好きな本や好きな作家の紹介などを行っています。
今日は、私がなぜそういうことをしているのかを、少し振り返ってみます。

私はもともと児童文学畑の人間でもあったりするので、『本を薦める』という行動の中に、いわゆる教育的なものが含まれている部分もあるかなとは思っています。
ですが、『与える』でも『教える』でもなく、あくまで『紹介する』や『薦める』でありたいと思っています。

自分が今までの人生の中で、本を読むことによって知った喜びや楽しみを、他の人と分かち合いたい。
自分が好きだと感じているものを、同じように好きだと感じてくれる人が増えてくれればいい。
そういった思いから、他の人間に自分の好きな本を薦めてみたくなるのです。

ただ、その本を読んでどのように感じ、どのようなものを受け取るかは、個々人の気質やそれまでの経験などに大きく左右されるものだと思います。
自分がどんなにいいと感じるものであっても、他の人にとってはたいして面白くもないもの、つまらないものである可能性はいつだってあります。
それは相手が悪いのでも、自分が悪いのでも、はたまた本が悪いのでもないかもしれません。
本の良し悪しのほかに、俗に言う『相性』というものが大きく作用しているように思うのです。
だからこそ、単に1冊だけおすすめの本を出すのではなく、複数の本を自分の好きな本として提示しておくのはけっこう大事なことのような気がします。
私自身も、他の方のレビューなどを見るとき、「この本を薦めている方が言うのだから、あの本も面白いだろう」といった観点で、自分と本との相性をはかることが多々あります。

また、同じ人間が同じ本を読んだ場合であっても、『いつ出会ったか』によって、大きく評価が変わってしまう場合もあります。
まだあまり人生経験のない幼い時期に出会ったために未消化に終わり、つまらなかったという印象を残すこともあれば、他を知る前に出会ったがために過大評価してしまう、といったケースのことです。
こういう、出会いのタイミングはけっこう大きいものです。

人は楽しかった経験を持つことによってこそ、同じ経験を重ねていこうとするものだと思います。
そのときそのとき身の丈に合ったものをタイムリーに読める、というのは非常にラッキーな経験なのかもしれません。
だからこそ、幼い時期の読書は大切であるし、それをメシの種にする職業が成り立つのだと思います。

しかし、実際問題として、私自身はそのときそのとき身の丈に合ったものを読んでいたかといえば、決してそうではなかったように思います。
両親がそこそこ本を読む人間であったおかげで、身の回りにはそれなりに本が転がっていたし、図書館に行く習慣もそれなりについていましたが、私自身の読書経験は、かなりアンバランスなものであったように記憶しています。
中学生くらいの頃の私は、本の供給源をもっぱら学校図書館と親の本棚に頼っていました。結果、今振り返れば良書がいくらでもありそうな高学年向けの児童文学にはあまり触れず、司馬遼太郎や辻邦生、山本周五郎に世界文学全集(少年用のではなく、一般向けの)などを読んでいたように記憶しています。
むしろ高校生になってから、児童文学や今のライトノベルのさきがけとなるようなジュブナイル小説を多く読むようになりました。
それがよかったのか悪かったのかはわかりません。
ただ言えるのは、その時読んだ本たちというのは、たまたまそこにあったから読んだのであり、厳選された良書を人から与えてもらったわけでは決してないということです。

読書を取り巻く環境は、私が子供だった頃と現在では、随分変わったように思います。
ネットの発達のおかげで、どんな本が存在しているかを知ることもたやすいし、自分と同じような傾向にある同好の士を探すのも随分と簡単になったように思います。
ただそれだけに、情報の取捨選択が難しいとも言えます。

誰かが『これ面白いよ』と声をかけてくれることによって、今まで知らなかったものを手に取る。
それにより、新しい世界がひらけていく。
そういった可能性があるから、好きな本を示していくことには、それなりに意味があるのだと考えています。
posted by 霧原真 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | 更新情報をチェックする

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